備後・鳴滝城(なるたき-じょう)は、広島県尾道市吉和町鳴滝にある山城で、鳴滝山城、探題山城とも書きます。
標高は322m、比高200mと堅固な城で、眼下には瀬戸内海(尾道水道)を望みます。
最初の築城は不明ですが、鎌倉末期の元享年間(1321年〜1324年)に、宮地次政が築いたとされます。
この宮地氏は、備中・宮地が出身の武将とされ、宮地次政が初代です。
室町幕府より備後守護に任じられた渋川義行が一時、備後・鳴滝城(備後・鳴滝山城)に入っていたともあります。
その後、宮地廣義、宮地廣俊、宮地恒躬(みやち-つねみ)と3代続きました。
しかし、1423年、対立していた、備後・大平山城(尾道市美郷町)の木頃経兼が奇襲攻撃して落城しました。
<注釈> 宮地恒躬は逃れるも討死し、正室である木梨杉原氏の娘「鈴御前」は、捕らえられて殺害されたとされ「鈴姫のほこら」があるそうです。
その子・宮地明光(みやち-あきみつ)は、鳴滝城の奪還を果たせず清原氏を頼ると、因島の備後・天神山城を与えられたようです。
こうして、因島村上氏の傘下となり、因島の備後・大江城に移りますが、その後、没落したようで、三原・仏通寺にて仏門に入り、瑞厳と号したともあります。
その後、備後・鳴滝城(備後・鳴滝山城)は史料に出てこないため、使われなくなった可能性もあります。
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