大久保石見守長安陣屋は、東京都八王子市小門町の産千代稲荷神社にある、大久保長安の陣屋(屋敷)跡になります。
戦国時代、この付近は、八王子城主である北条氏照が治めてました。
大久保長安は、武田信玄・武田勝頼に仕えていましたが、1582年に武田家が滅ぶと、徳川家に仕えます。
そして、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにて北条氏直が降伏すると、徳川家康が江戸城に入り、大久保長安が8000石となって、八王子の代官となったようです。
江戸幕府は、八王子を直轄領としていますので、その代官になったのが、大久保長安と言う事です。
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徳川家は、甲斐からの出入口にあたる八王子宿に、旧武田家臣を多く配置し「八王子千人同心」として、鉄砲も装備させました。
大久保長安が献策(提案)したともされます。
その八王子千人同心の統括も担当したのが、大久保長安のようで、1592年に、八王子小門陣屋が建てれ、この場所から、大久保長安の陣屋も近かったとされます。
八王子千人同心には、山本勘助の弟と考えられる山本忠玄(山本土佐忠玄)などもいます。
陣屋からほど近いところには、武田信玄の娘・松姫(信松尼)が隠棲していたことから、かつて武田家臣だったら八王子千人同心らは、心のよりどころとしたようです。
代官頭である八王子総奉行・大久保石見守長安は、八王子十八人代官(関東各地の直轄領を支配する代官18人)を駐在させて、一里塚の整備などを指示したほか、八王子では横山宿など15ある宿場の開発と、小仏関所の管理、浅川の堤防「石見土手」を築き、絹織物を八王子名産にするなど、内政でも能力を発揮しました。
現在は、産千代稲荷神社の場所に大久保石見守長安陣屋跡の石碑があります。
陣屋があった場所はわかっていませんが、言い伝えによると、代官屋敷の敷地内の西南に、鬼門除け・五穀豊穣・殖産興業の神として倉稲魂命を祀って産千代稲荷神社を建てたとあります。
1945年(昭和20年)の八王子大空襲で社殿は焼失し、1954年(昭和29年)に再建されたのが、現在の社殿となります。
陣屋の設置時に掘られた井戸は2つあったそうですが、現存する400年前の井戸はこの1つだけだそうです。
1600年、関ヶ原の戦いのあと、徳川家は、日本全国の金山・銀山・銅山などを、直轄地とします。
そして、生野銀山・石見銀山・佐渡金山などの管理を、大久保長安が任じられているため、実際には、ほとんど八王子にはいなかったものと推測されます。
その後、江戸幕府勘定奉行、老中へと出世しました。
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また、八王子千人同心は、関ヶ原の戦い、大坂冬の陣、大坂夏の陣にも参じており、のち、日光東照宮の警備を担当する日光勤番も命じられています。
なお、大久保長安は、駿府にて没後、生前の不正が発覚したとして、葬儀も中止され、安倍川にてさらし首となっています。(大久保長安事件)
八王子の陣屋には、その後、近山氏が入ったようですが、1704年(元禄17年)に、代官所は廃止となりました。
大久保長安陣屋跡への行き方・アクセスですが、JR中央線の西八王子駅から、線路沿いを行き、徒歩20分くらいです。
JR八王子駅から歩いても、22分くらいですので、大差はありません。
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駐車場はありませんが、鳥居の前の道は、一方通行になっており、ちょっと広いので車を止めれました。
記憶に間違えが無ければ、駐車禁止ではないと存じますが、もし、違っていましたら、申し訳ありません。
目の前に500円パーキングもあります。
なお、見学所要時間は約5分~10分です。
武田信玄の娘・松姫の墓もある「信松院」も近いですので、セットでどうぞ。
・大久保長安の解説 武田家臣から徳川家の老中に出世
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