大阪市天王寺区茶臼山町にある茶臼山(大塚城、茶臼山砦、茶臼山陣城)は標高26mの丘(比高16m)で、もともと1546年に細川晴元の家臣・山中又三郎が築城した大塚城でした。
5世紀の豪族の墓である茶臼山古墳を活用した平山城で、細川晴元の家臣・山中又三郎が茶臼山古墳の後円部を本丸としたようです。
1547年7月21日、舎利寺の戦いで細川氏綱・遊佐長教の連合軍の攻撃を受けて落城しました。
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下記は大和川を西流させようとして中止した工事跡とされる河底池です。
上記写真の奥に掛かるのが「和気橋」です。
788年に和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水・水運にと、上町台地を開削しようとして失敗した跡地と言う事になります。
結果的に自分の名前がついて「和気橋」と呼ばれていますが、簡単に申し上げますと、失敗したことで名前が後世に残ったと言え、和気清麻呂さんは涙目かも知れません。
山中又三郎が敗れてから、大塚城が使われていたかどうかは不明ですが、茶臼山は大坂の陣にて重要な舞台となります。
1614年11月、大坂冬の陣の際には徳川家康が茶臼山を本陣として改修しました。
下記は通天閣から撮影した茶臼山と周辺の天王寺公園となります。
和気橋も写ってます。
下記写真は茶臼山砦の山頂(本丸)平坦地です。
船場の蔵や家々を壊した木材にて「御やくら」と言われる、約12畳の徳川家康の寝所が大塚城山頂に作られ、西麓には茶屋、南麓には納戸、東には浴室もあったようです。
護衛の兵の多くは、北の一心寺に駐屯したとの記述もあります。
大阪冬の陣で和睦が成立すると、徳川勢は茶臼山から引き揚げました。
そして、1615年5月の大阪夏の陣の時には、野戦に出た真田信繁(真田幸村)が、ここ茶臼山に陣を置いています。
そして、この茶臼山から撃って出て、徳川家康の首を狙って決戦を挑んだ茶臼山の戦い(天王寺・岡山の戦い)となり、松平忠直らとの激戦となりました。
掲載している写真は高野山から戻ってきて、夕方に急ぎ訪問した関係で、もう薄暗いですがご勘弁願います。
旧黒田藩蔵屋敷長屋門
天王寺公園の中には、黒田藩蔵屋敷長屋門が移築されています。
これは、現在の中之島三井ビル付近にあった福岡藩蔵屋敷の表門が大阪市に寄贈されたもので、かつて大阪が「天下の台所」といわれ、日本の商業・流通・金融の中心地であったことを物語っています。
さて、茶臼山への行き方・アクセスですが天王寺公園の中にあります。
かつて天王寺公園は150円の有料公園でしたが、2015年4月1日から無料となり休園日もなくなりました。(慶沢園のみ有料)
天王寺駅からは徒歩約10分で、見学所要時間は20分~30分といったところです。
天王寺公園は夜間閉鎖されますので、入園できるのは朝9時30分から17時まで(入園は16時30分まで)です。
ただし、5月と9月の土日祝は9時30分から18時まで(入園は17時30分まで)となりますが、変更される場合もありますので、最新情報をご確認願います。
とにかく天王寺公園は元々有料公園であったことから出入口が限られていて、どこからでも入れると言う公園ではありません。
事前に分かっていましたが、それでもウロウロ迷ってしまい、かなり時間をロスしました。
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皆様は迷わない様、現地の案内板や地図をよく見てご訪問願います。
地図のポイント地点は、茶臼山に最も近い北側の天王寺公園出入口となります。
茶臼山の石碑や案内板なども、上記の地図ポイント地点である「北」出入口側に集中しています。
旧黒田藩蔵屋敷長屋門は、美術館の南側にあります。
駐車場は天王寺公園の有料駐車場が利用できます。
付近の見どころとしては、一心寺と安居神社、四天王寺もありますので、セットでどうぞ。
・本多忠朝と一心寺【真田の抜け穴・本多忠朝の墓】
・天王寺・岡山の戦い~真田幸村最後の雄姿
・安居神社(安井神社、安居天満宮)~恐れることなく戦い散った真田幸村最後の地
・徳川家康は大坂夏の陣で後藤又兵衛に討ち取られた?南宗寺に残る伝承の謎
・四天王寺と源義経の鎧掛け松~聖徳太子が建立した寺院
・大阪城の史跡巡り観光堪能2時間コースのご紹介
・姫路城と好古園・男山・官兵衛ゆかりの書写山・赤穂城・御着城、高野山・九度山・茶臼山、真田丸跡周辺・大阪城と周辺・天王寺近辺・彦根城の旅
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