薩摩・夏蔭城(なつかげじょう)は、西郷どんで有名な薩摩・上山城(城山)の北側を守る、重要な拠点(出城)でした。
この山には、大きな松や楠(クスノキ)が生い茂っていて「日陰」が多く、夏でも過ごしやすかったとこから?、夏蔭城と呼ばれたようです。
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南北朝時代の1352年に上山氏が築城したとも言われます。
夏蔭城には城の構えなど砦としての機能は無かったようですが、鹿児島城(鶴丸城)の背後にある上山城(城山)の北方を警備する必要上、江戸時代には警備の侍が配置されていたと言います。
なお、西南戦争(西南の役)の際、上山城に立て籠もった薩軍を攻撃する為、官軍が激しく攻撃したのが夏蔭城(夏蔭の塁)でした。
当然、夏蔭城には僅かな兵しか入れていなかったため、薩軍は市来宗介が怪我?するなど激戦の末、城山最後の日に夏蔭城を奪われたようです。
そして、官軍が西郷洞窟がある岩崎谷へ官軍はなだれ込むこと事となり、西郷隆盛らは最後の突撃を行ったようです。
下記は夏蔭城から西方向の展望です。
ただし、夏蔭城に関する情報は乏しく、上記のような程度しか分かりません。
恐らく、大河ドラマ「西郷どん」でも原作の方は、その夏蔭城も取り上げては頂けないでしょう。
しかし、西郷隆盛ら薩軍が生きるか死ぬかに、大きく関わった場所でもあったのではないでしょうか?
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目だった遺構は特にありませんが、下記の地図ポイント地点に夏蔭城の石碑があります。
このように現在は夏蔭公園となっていますが、整備されたまま放置されているような印象です。
なお、残念ながら駐車場はありません。
ただし、公園内の道路は駐車禁止では無いようですが、ずっと急な1.5車線の坂を上って行く感じで、山頂部に行っても方向転換できるところはありません。
また、山頂部にも民家があり、実際にお住まいですので、間違えて私有地に入らないよう注意が必要です。
わりと近くには、若かりし西郷隆盛らが「座禅」して修行したと言う「座禅石」があり、夏蔭城から東へと下って行くと、五代友厚の誕生地、そして、南へ向かえば城山と西郷洞窟があります。
徒歩で周りますと時間は掛かりますが、是非ご訪問なさって頂ければ幸いです。
※この記事は「ドラマ特集ニュース」より再編集したものです。
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