真田の里紀行、矢沢綱頼(矢沢頼綱)の居城「矢沢城」です。
信濃・矢沢城(やざわ-じょう)は真田幸隆の弟・矢沢綱頼(矢沢頼綱)が城主として入りました。
恐らくは山麓に館を構えたものと推測でき、殿城郵便局付近の街並みに、古い集落を思わせます。
1585年、第1次上田城の戦いでは、矢沢城は徳川勢の攻撃を受けました。
このとき、矢沢頼康(矢沢三十郎頼康)らの城兵800が、徳川勢の依田源七郎ら1500を退けてます。
この矢沢頼康の子・矢沢頼定は、真田幸村が越後・上杉景勝の人質になった際に、同行した武将です。
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関ヶ原の戦いのあと、仙石氏が上田城主になると、仙石政明のときに旧矢沢領が仙石旗本領として、1575年、千石政勝が矢沢2000石となりました。
この時、陣屋が矢沢集落に設けられて明治の廃藩置県まで続いています。
すみません。
当初行く予定には入れていなかったため、矢沢公園(城郭)までは訪問できませんでした。
主郭へは10分程度らしいですが、今後の課題です。
駐車場の場所ですが、大日堂付近に3台分くらいのスペースがあると言う記載サイトもありましたが、私が訪れた際にはわかりませんでした。
なお、真田丸のおかげか、新しく駐車場ができたようですので、当方のオリジナル地図ではポイントしておきます。
道が狭いので路上駐車は厳禁です。また、対向車にご注意を。
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