左入城(さにゅうじょう)は、東京地八王子市の中央高速・八王子IC付近になる館跡です。
谷萩川沿いの谷戸にある平城で、谷野街道の抑えでもあります。
地元の言い伝えによると、中丸淡路守の館跡とされ、東西約400m、南北175mの卵型で、東・南・西の三方に幅4~50m、深さ約9mの堀があったと言います。
北側は谷萩川で10m程の崖になっており、天然の要害ですね。
2~3郭程度の削平地もあったそうです。
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しかし、この住吉中丸淡路守と言う人物については不詳で、そのほかに、戦国時代後期に、徳川家臣?と推測される西山十右衛門の居館跡ともされます。
武田勝頼の家臣に三ツ者(みつもの)=諜報・情報収集役の西山十右衛門尉と言う武将がおりますので、武田滅亡後に西山十右衛門は徳川家康に仕えたとも考えられます。
なお、この左入城(左入館跡)は中丸淡路守からの中丸城である可能性もあります。
実は、滝山城からの尾根の東端となる、八王子自動車検査登録事務所(車検場)の付近も左入城跡とされますので、左入地区にどちらもあると言えることから、混同されてしまっている可能性も捨てきれません。
ただし、車検場の脇の知名は丸山町ですので、八王子車検所の城址が丸山城で中丸淡路守、村内家具さんの方が左入城(左入館跡)で西山十右衛門なのかな?と小生は想像致しております。
現在、左入城(左入館跡)の遺構はあまり残されていませんが、その土地は村内家具さんの「村内美術館」になっています。
そして、村内家・第17代当主の村内道昌社長が、平成17年5月に自費にて「石碑」を建立しており、国道16号沿いにある古くからの伝承を後世に残すよう尽力されております。
左入城(左入館跡)の石碑がある場所は、下記の地図ポイント地点となります。
現在会長であられる村内道昌様が、このような地域貢献をしていらっしゃるという、この記事は未来永劫、皆々様から閲覧できるようになったらいいなぁと想います。(以後省略)