
尾張・長尾城の解説~荘官から地頭・そして滅亡
尾張・長尾城とは長尾城(ながお-じょう)は現在の愛知県知多郡武豊町にあった平城です。武豊町の前身である武豊村は、明治11年(1878年)長尾村と大足村が合併して成立した物で、長尾村の産土神である武雄神社と、大足村の産土神である豊石神…

伊予・松山城の解説【日本100名城】威風堂々と構える見事な構造も敵を欺く芸術的防御
名称 : 伊予松山城、金亀城、勝山城場所 : 伊予国形態 : 連郭式平山城天守 : 連立式層塔型3重3階地下1階(現存)遺構 : 現存天守・櫓・門・石垣・塀・井戸・土塁・堀築城年 : 1602年(江戸時代初期)指定文…

秋田城 大和政権の支配の北限と俘囚とは【続日本100名城】
秋田城とは秋田城(あきたじょう)は、秋田県秋田市にある城跡で「あきたのき」とも言い、国の史跡、続日本100名城にも選ばれています。城跡と申しますと、一般的には、戦国時代にも使用されたお城に感じると存じます。しかし、秋田県の由…