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白河小峰城の解説【日本100名城】失敗したので失敗しない訪問方法など

白河小峰城

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白河小峰城とは

白河小峰城(しらかわ-こみねじょう)は、福島県白河市にある平山城(標高370m)です。
国の史跡に指定されているほか、日本100名城にも選ばれています。
別名は、白河城、小峰城とも言いますが、日本には他にも有名な陸奥・白河城などもあるため、白河のこの城は白河小峰城と記載されることが多いです。


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城郭構造 : 梯郭式平山城
天守構造 : 三重櫓(複合式層塔型3重3階、江戸時代の1632年築、1991年木造復元
築城主 : 結城親朝
築城年 : 1340年
遺構 : 石垣、土塁、堀
指定文化財 : 国指定史跡

白河小峰城

1991年、戊辰戦争の際に、新政府軍の攻撃で焼失していた、天守相当の御三階櫓が、復元されました。
2011年3月11日、東日本大震災の際に、白河市は震度6強に見舞われます。
白河小峰城では、本丸南面の石垣が幅約45mにわたって崩落するなど、石垣10ヶ所が損壊しましたが、その後、復元工事が行われました。

白河小峰城

鎌倉時代の1189年に、源頼朝から白河荘など奥州白河三郡を与えられたのが、下総国の結城の結城朝光です。
1289年頃、その孫・結城祐広が、白河に移住し、陸奥・白川城(搦目城)を居城にしました。
その子が、結城宗広ですが、結城宗広の嫡男・結城親朝が1340年、小峰ヶ岡に城を構えたのが、白河小峰城のはじまりになります。

白河小峰城

この結城親朝(ゆうき-ちかとも)は、父・結城宗広や弟・結城親光らと、新田義貞の軍勢に合流して、鎌倉幕府を滅ぼす戦功がありました。
そのため、後醍醐天皇から信任された北畠顕家が、多賀城に入った際に、結城氏は諸郡奉行となって、奥州の統治を任されます。

白河小峰城

そして、白河の領地を安堵されたのが結城親朝で、1338年に父が病死すると、長男・結城顕朝が白河・結城氏の家督を継ぎ搦目城に入り、結城親朝は1340年に白河小峰城を築城し、別家の小峰氏を創設しました。
結城親朝が、小峰氏の祖であり、次男・小峰朝常が、継いだと言う事になります。
嫡男・結城顕朝は、搦目城(陸奥・白川城)を本拠にして、宗家の白河・結城氏を継承したと言う事ですね。


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戦国時代の白河小峰城主は、小峰義親あり、蘆名盛氏の娘を正室にしているほか、宗家の白河結城氏の当主にもなっています。
しかし、佐竹義重に屈し、蘆名義広(佐竹義広)を養子に迎え、実質的に佐竹氏に乗っ取られます。

白河小峰城

1590年、豊臣秀吉の奥州仕置では所領を没収されると会津領となり、会津・若松城に入った蒲生氏郷を頼りました。
その後、放浪すると、1601年に伊達政宗の客分となり、子孫は仙台藩士として見られます。

白河小峰城

江戸初期の寛永4年(1627年)に、丹羽長重が棚倉城から10万石で移封になりました。
すると、伊達氏の抑えとして、江戸幕府は、白河小峰城の大改修を命じ、1629年から3年かけて、1632年に改修完了となり、ほぼ総石垣の要塞となりました。
この時、本丸北東部に、3層3階の御三階櫓を据えた、梯郭式の城になったと言う事です。

白河小峰城

普請工事においては、小峰城の石垣が何回も崩れたため、人柱を立てることとなりました。
作事奉行である和知平左衛門の娘・おとめが、偶然にも、その日、最初に城にやってきた娘であったため、犠牲となります。
おとめが埋められた場所には「おとめ桜」が植えられました。


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その、おとめ桜や、御三階櫓に入場できなくても、近くから拝見しようと、朝7時30分頃到着したのですが・・・。
ガーン。
白河小峰城の本丸への入口(清水門跡)では、扉が閉まっていて、ここから中には入れませんでした。

白河小峰城

御三階櫓の見学可能時間(朝9時30分から)でないと、上記から先には入れないと言う事らしいです。
失敗しないように、皆様は、お気をつけ頂ければと存じます。

白河小峰城

戊辰戦争では、白河口の戦いとなり、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の間で、激戦となり、白河小峰城の建物は、ほとんど焼失しました。

白河小峰城

執筆時点での日本100名城スタンプ設置場所は下記の4箇所です。
小峰城三重櫓、小峰城歴史館、二ノ丸茶屋(白河小峰城内)、JR白河駅観光案内所
なお、私は、スタンプやっていませんが、スタンプ設置の箇所は、変更になることがありますので、訪問前に念のためご確認願います。
また、白河小峰城では2種類の御城印が販売されています。


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総工費6億円をかけて、清水門の復元工事も開始されるようです。
桜の見頃は、4月中旬~4月下旬頃です。

交通アクセス

JR東北本線・白河駅から徒歩10分。
駅の出口は南側にしかないため、改札を出て左手にある高架下の連絡通路を抜けて北側に出る必要があります。

白河駅

無料駐車場は広いです。
駐車場の入口は、当方のオリジナル東北地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

搦目城(陸奥・白川城)の歴史解説~白川結城氏の古城
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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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